ヨガインストラクター

吉田紗弥

吉田紗弥のプロフィール詳細です。

キャリアサマリー

吉田紗弥(よしださや)

1984年 四国徳島県出身。裕福ではなかったものの真面目な父と母と三人姉妹の長女として育つ。母親は自宅でピアノ教師をしていたため毎日ピアノの音を聞いて過ごしていた。父はギターやトランペットを演奏するのが好きで、音楽好きの両親の影響もあり姉妹揃って学校での部活は吹奏楽部に所属。大学では軽音楽部に所属し、芸術にあふれた充実した学生生活を過す。

社会人になってからは得意だった英語を活かし、ホテル業界へ就職、そして海外生活を体験。カナダ、アメリカでの生活は可能性に溢れ、田舎で育った私にとっては全てが新鮮で毎日が冒険のようにワクワクしたものだった。移民を受け入れる国は皆、人種、ジェンダー、年齢、国籍関係なく、皆が様々なバックグラウンドを持ち、自由に、また他人に寛容で伸び伸びと生活を送っているように見えた。学校の授業はディベートやディスカッションなども多く能動的で、同性愛のカップルが堂々と手を繋いで散歩し、上司ともファーストネームで呼び合い、能力があれば給料交渉をし、エレベーターやバス停でのスモールトークなど、自分の意見をまっすぐ言える雰囲気がとても魅力的で、日本へ帰りたくないと思いながらも泣く泣くビザの関係で帰国。海外経験を活かしたいと考え東京の外資系ホテルへ就職する。

しかし、家と会社を往復するだけの毎日が続き、海外にいた時の余裕はなくなり、「空気」を必死に読み、組織に馴染むよう、周りの目を気にするようになる。「女だから」「彼氏は」「そろそろ結婚は」「将来子供は」など言われるたび、周りと比べ、焦りと不安は募り、仕事の愚痴や生活の不満が多くなり、「カナダにいたときは〜だったのに」「アメリカにいれば」などと環境や仕事、周りの人のせいにし、自己肯定感も低く、卑屈な毎日を過ごすようになる。

海外への憧れを残したまま、幻を見るかのように、東京でできた外国人の友達や、同じような仲間と朝までお酒を飲み、幼い頃大好きだった音楽の楽しみ方は、この頃はカラオケやクラブで憂さ晴らしをし、遊び続けるように。日中はお客様の前で静かに礼儀正しく振る舞い、仕事が終わった途端、人が変わったように、夜の渋谷や六本木に繰り出すということを繰り返す。

そんな毎日を過ごしているうちに次第に体を壊し始めます。気性が激しくなり怒ったり泣いたりが多くなり、睡眠障害や、不安感、焦燥感は次第に強くなっていった。

当時の交際相手に勧められた心療内科で双極性障害といううつ病と診断され、病院に通いながら仕事を続けたが、症状はひどくなる一方。ある時出勤してもお客様の前に立つと震えるほどの不安感に襲われ、もうこれは仕事ができないと判断、上司に相談し、休職、そして自分から降格を願い出て当時の役職を降格。休職してからは薬の副作用に悩まされ、一日中寝てばかりを過ごし、対人関係は希薄になり、誰とも話さない日々が続く。心配してくれていた心療内科を勧めてくれたその交際相手も去っていった。

「人生お先真っ暗」「何か自分は悪いことでもしたのか」と泣き崩れている毎日を過ごしていた時、アメリカで過ごしていた友人の「ヨガはとてもいいよ」の言葉を思い出す。運動とは無縁の人生でしたが、自分の健康を考え、近所の小さなヨガスタジオに通うようになった。

ヨガを続けていくうちに体調も次第に回復、薬も減り会社に出社もできるようになる。ヨガのレッスンでは綺麗な先生たちが優しくキラキラ輝いている姿に私もこうなりたいと思うようになり、RYT200を取得することを決意。リラヨガ・インスティテュートに入校。

アーサナ、呼吸法、食事で体がどんどん変わり、何より哲学を学ぶことで胸のつかえがなくなるように感じ、そして今まで出会わなかったたくさんの仲間に出会うことができた。同じうつ病を経験した人、生死を彷徨ってヨガで救われた人、子育てや家族の悩みを持った人。様々な人が集まり、気持ちを分かち合い、励ましあう空間はとても素晴らしく、いつの間にか薬も病院も行かず、元々あったアレルギーでさえもほぼ出ないような体にまで変化していった。

現在はリラヨガ・インスティテュートのインストラクターとして対面でのレッスンを担当するほか、オンラインレッスンも行なっている。趣味は旅行、音楽鑑賞、映画鑑賞。

保有資格等

  • 全米ヨガアライアンス200時間ティーチャートレーニング(ヨガエバンジェリスト・コース)修了